思い出の駅(東部)
富源駅(花蓮県)
![]()
花蓮から台東へ向かおう。光復駅を過ぎると、車窓いっぱいにサトウキビ畑が広がる。その奥には椰子の樹が並び、南国らしい風景の中を列車は進んでいく。
富源駅は日本統治時代は「白川(しらかわ)」といった。もともとここは「抜子」という地名であったが、昭和12年の地名改正の際に「白川」と改められた。「抜子」は台湾語で「ポアツア」と読む。漢字は漢人によって与えられたものだ。「ポアツア」とは、もともと、アミ族の言葉で「グワバ」を意味している。つまり、ここは、古くから農耕を知っていたアミ族の人々がグワバを収獲していたことにちなんで付けられた地名なのである。
「白川」の名前の由来も興味深い。この集落はマシロ渓(現富源渓)という川に沿って発達しているが、この「マシロ」の発音が日本語の「まっしろ」に似ていることから、「白川」となったのだそうだ。
駅から徒歩20分ほどの山腹には戦前、日本人が建て神社が残っている。本殿は撤去されているが、階段と燈篭が寂しくたたずんでいる。日台の籍を問わず、もはや、訪れる人はいないが、この遺跡は白川神社として、今でも老人達の記憶の片隅に息づいている。
なお、このマシロ渓の上流には美しい渓谷が広がっている。ここには蝶の谷があり、運が良ければ、空間を埋め尽くすような胡蝶の群れを目にすることができる。駅からは徒歩30分と、かなり距離があるが、美味しい空気を吸いながらの散策は楽しい。後方からは、時折、列車のホイッスルが聞えてくる。
馬
蘭駅(台東駅)
台東郊外にできた運転上のターミナル・台東新站を出ると、東部幹線の旅も終わりに近づく。終着・台まではもう10キロ足らずの距離だ。この両駅の間に馬蘭駅は位置している。
ここはもともと、アミ族の人々が住んでいた土地だったた。音楽で、すっかり有名になった郭英男(ディファグ)さんもここのアミ族の人である。彼らの言葉では、この土地の名前は「バラナウ」と呼ぶのが正しいのだが、日本統治時代に「バラン」と改められ、「馬蘭」と漢字の表記を与えられた。
さて、この駅の利用客は一体、どのくらいだろうか。詳しい資料がないので、具体的な数字を挙げることはできないが、おそらく、100人を超えることはないだろう。
私はこの駅を包み込んでいる雰囲気が好きで、今までに7度ほど訪れているが、ホームで列車を待っている人の姿を見かけたことはない。駅員無配置駅の扱いにも納得がいく。
誰もいないホームにたたずんでみると、周囲にそよぐ風の音ばかりが耳に残る。こんなに静かな駅というのは台湾でも少ないのではないだろうか。そんなことを考えていると、静寂を破るかのように2両編成の気動車がやってきた。案の定、この駅に降り立った人はなく、乗込んだのも私1人だった。
崇徳駅 (花蓮県)
ここはタッキリ渓(立霧渓)のデルタにできた集落で、世界一美しいといわれる臨海道路・蘇花公路の終点に位置している。ホームからは青い海が眺められ、宜蘭側を振り返ると、今までトンネルで過ぎてきた断崖絶壁を遠望できる。
駅前の道路を左に曲がってしばらく進むと、道路の両側に屋台が並んでいる。蘇花公路を通過する運転手は、ここで食べ物を買い込んでいくためになかなかの賑わいを見せるのだという。ただし、駅周辺には集落らしきものもなく、ひっそりしている。
この町は、もともと「タッキリ」という地名だったものを、戦後、政府が「崇徳」と改めた。台湾では戦後、日本的な匂いのする地名を強制的に改正するということが全土に渡って実施されたが、中にはここのように、日本の植民地支配とは全く関係のないところでも、住民が用いる呼称を無視して、地名を改めてしまったケースが少なくない。今となっては「タッキリ」の名前は川の名前だけに残っているに過ぎない。「タッキリ」の発音に漢字表記が「立霧」。日本人があてた漢字であることは一目瞭 然だ。
この川が大理石の岩盤を侵食し、世界に名だたる太魯閣(タロコ)の大峡谷を作り上げた。ここは左右ともに車窓が素晴らしいので、見逃さないようにしたい。左手には太平洋。右には深い山並みがグッと迫っている。険しい山と広い海。2つの対局にある大自然が一度に眺められるのは世界でもそう多くはあるまい。